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相撲史神事と武道の華麗なる融合
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Vol.62 未完に終わった北玉時代

昭和45年1月場所、北の富士は優勝決定戦で玉乃海を破って3度目の優勝を果たす。そして、マスコミは「北玉時代」の幕が開いたと宣言したのである。
北の富士は出羽海部屋に入門し、身長185センチ、体重135キロという申し分のない体格であった。人よんで、「角界のプレイボーイ」。力士と芸能人、どっちが本職なんだと批判を浴びた事もあったが、優勝10回、三賞受賞6回は立派な成績だ。
玉の海は二所ノ関部屋に入門し、のちに片男波部屋に移った。早くからその才能は高く評価されていた。身長177センチ、体重134キロと小柄であったが、終始一貫右四つの型を追求し、相撲の基本にのっとった正攻法の相撲であった。しかし、昭和46年持病となっていた盲腸の手術から5日後玉の海は心臓動脈血栓症を起こして27歳の若さで急死した。前年の春に幕が開いたばかりの北玉時代はこうして、あっさりと幕を閉じた。
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