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相撲史神事と武道の華麗なる融合
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Vol.35 常陸山で相撲人気爆発

日清・日露戦争に勝った日本は国粋主義感情が高まり国技としての相撲の人気が高まってきた。その立役者が19代横綱常陸山谷右衛門と、好敵手の20代横綱梅ヶ谷藤太郎である。
24年に弟子入り、25年に御西山と名乗り初土俵を踏んだ。27年には師匠の名を継ぎ常陸山と改名するが、女性問題で師匠と気まずくなった為28年夏の巡業中に脱走して名古屋相撲へもぐりこんだ。後に大阪相撲へ移った常陸山は別人のような強さを見せ、東京へ帰るよう進められた。30年5月には出羽海部屋へ復帰を許されて再起して、33年5月に関脇、34年5月に大関へと躍進した。
明治40年には相撲普及のために渡米、米大統領を表敬訪問するなど「裸の大使」としての役目や国技館建設、弟子の育成に尽力した。大正11年、48歳の若さで亡くなったときに功績を称えられ協会初の「協会葬」で送られた。
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