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相撲史神事と武道の華麗なる融合
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Vol.29 梅ヶ谷と天覧相撲

明治17年(1884)の天覧相撲に先立ち五条家、吉田司家の両家より同時に横綱免許を許された「大雷」と呼ばれた初代梅ヶ谷藤太郎が現れた。しかし梅ヶ谷は化粧まわしを用意する時間も余裕も無く一度は断ったのだが、それを聞いた伊藤博文は以前からひいきにしていた梅ヶ谷ために金の工面をして、1月足らずで化粧まわしをつくらせて天覧相撲に間に合わせたという。
天覧相撲は明治の相撲復興に大きな力となった。天覧相撲で梅ヶ谷が大達を相手に見せた壮絶な死闘が噂となり梅ヶ谷はその名を天下にとどろかせた。明治18年(1885)5月に引退、年寄の名門雷権太夫を継ぎ、明治22年(1889)には東京角力協会設立時に高砂浦五郎とともに協会取締に就任した。
雷は行司の装束を裃から烏帽子・直垂に改めたり、幕内力士の場所入りに羽織・袴を着用義務をさせた。明治42年(1909)の両国国技館建設にも雷の働きが大きかった。大正4年(1915)養子の二代目梅ヶ谷が引退すると雷の名を譲り、相撲界から退いたが人々から「大雷」と呼ばれ業績を称えられた。
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