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Vol.28 朝日嶽の美男と美談

朝日嶽鶴之助は明治初期に「相撲じゃ陣幕、男じゃ綾瀬、ほど(容姿)のよいのが朝日嶽」と歌われるほど美男力士として人気があった。13歳のときにその怪力ぶりを認められて力士を志し、文久2年(1862)幕下の朝日嶽は庄内藩のお抱え力士となった。慶応4年(1868)6月に入幕したが4日目から休場し、翌明治元年11月場所は全休した。
朝日嶽はこの時、官軍に反抗した庄内藩の急を知り、酒井候のご恩に報いようと包囲網をかいくぐって庄内へと向かったのだが、既に庄内藩は官軍に従うことになっていた。翌年4月場所で土俵に復帰した朝日嶽だが、庄内行きの事が徳川びいきの江戸っ子達に美談として伝わっていき、一躍人気者になった。
明治10年(1877)には大関昇進を果たし故郷に錦を飾り、翌年には山形県内だけの横綱免許まで許してもらっていた。しかし明治15年(1882)に病で亡くなってしまう。人々の信頼と尊敬を集めた彼は早すぎる死を惜しまれていた。
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