Vol.25 力士の火消し相撲界は生き残りをかけた新しい試みを行った。まず観客層の拡大を考え、明治5年(1872)本場所2日目以降の相撲見物を女性に許した。明治10年(1877)には初日からの見物もできるようになった。力士も世の中の役に立つと示すために板垣退助らの入れ知恵もあり火消し隊を組織する。明治9年(1876)に政府に出願したが、体の大きい力士は消防活動に不適当と許可を出さなかった。再三の願い出に政府は1度試験をすることにした。 試験の結果、幕下、三段目の力士36名からなる消防別手組が誕生。火事のたびに出場し活躍を見せていたのだが巡業に出る暇がなくなり、明治11年(1878)に解散することになった。 |
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