Vol.15 「待った」の阿武松寛政3年(1791)現在の石川県鳳至郡に生まれた阿武松緑之介は、幼い頃に板橋のこんにゃく屋に奉公し、25歳の時に武隅部屋に弟子入り。文政5年(1822)10月入幕、同9年10月には大関になった。同10年には長州藩毛利家のお抱え力士となり、「阿武の松原」の名を取り阿武松と改め、同11年2月には39年ぶりに横綱を免許された。小柄で慎重な取り口、風格のある相撲ぶり、こんにゃく屋の下男から横綱にまで上りつめたことで「今太閤」ともてはやされ、人気も得た。 文政13年の上覧相撲で7代横綱稲妻と対戦。勝負には勝ったものの、気の弱い阿武松は普段から「待った」が多く、ここでも「待った」をして評判を落としてしまう。おかげで「ちょっと待った」というと「阿武松じゃあるまいし」という掛け合いが流行してしまう。 |
メニューへ | つぎへ |