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相撲史神事と武道の華麗なる融合
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Vol.7 曾我兄弟の仇討ちの発端

安元2年(1176)伊豆に流されていた源頼朝の退屈を慰めるために、伊豆、相模、駿河の三国の武士達は天城山中で狩猟を行い、赤沢山柏崎で酒宴を催した。その余興として工藤祐経の部下、力自慢で21人を投げ飛ばした俣野五郎景久。挑戦者は伊東の領主、伊東次郎祐親の嫡子河津三郎祐泰。熱戦の末に河津が俣野を投げ倒し勝敗は着いたのだが、この勝負を恨んだ工藤は部下に命じて河津を暗殺、これが曾我十郎、五郎の復讐劇となり、能や狂言、歌舞伎で有名な曾我兄弟の敵討ちの発端となる。
「曾我物語」には「河津掛け」は河津ではなく俣野が掛けたとされているが、なぜ「俣野掛け」ではなく「河津掛け」になったかといえば、江戸時代中期に普及した相撲四十八手に「蛙掛け」があり、芝居好きの江戸っ子が語呂合わせで洒落たのが真相らしい。
武士を賞賛するときは「弓馬、相撲に達し膂力人に超ゆ」といわれたほど武家の間に相撲は完全に定着し、欠くことのできないものになった。
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