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26.にらめない日本人
撲中継の合間に古い映像が紹介された。戦後の第一次相撲ブーム「栃若時代」の両雄、栃錦と若乃花の取り組みだった。両者が仕切り線に手を置いただけで場内は割れんばかりの拍手喝采。今どき、仕切りだけでこれだけ盛り上がることはない。見ている私もワクワクした。
たかが仕切りで、なぜかくも観衆は熱狂するのか。それは両者の闘志が火花を散らしているのが伝わってくるからだ。両者のにらみ合いは、それほどに殺気立っていた。
の後テレビの画面は現在の取り組みに戻った。栃若の直後に見た現役力士の仕切りは、情けないほど迫力不足だった。弱々しい「かしわ手」はいかにもおざなりで、単にそうする決まりだからやっているという感じ。土俵の邪気を祓うどころか、あれでは蚊も殺せまい。
仕切りで相手をにらみつける力士も殆どいない。相手を「見つめて」いればまだいいほうだ。伏せ目がちで、相手の目を見ようとしない力士も多い。かつて舞の海は、自分の考えていることを相手に悟られまいとして目を合わせなかったと言う。それはいい。幕内で最も身長が低く、最も体重の軽かった舞の海なら許そう。だが、その他のごく一般的な力士たちが仕切りでのにらみ合いを避ける理由はない。
挿絵と文章は関係ありません
てを一般化するつもりはないが、外国人力士は例外なく相手をにらむ。朝青龍に至っては、これから殴り合いのケンカでも始めそうな勢いで相手を見据え、仕切りを終えて立ち上がってもなおその視線を相手から離さない。品格があると言えないかもしれないが、迫力はある。これから闘いを挑もうとしている力士の表情はかくあるべきだと思う。
私は、にらまない力士を「闘志を内に秘めるタイプ」などと擁護しない。相撲は格闘技であり、大相撲は見世物興行だ。たとえパフォーマンスであっても、力士はにらみ合うべきだ。魁皇の勝負弱さ、栃東のもろさ、若の里の淡白さも、ひょっとしたら相手をにらめない心理状態が影響しているのではないだろうか。
さんはお気付きだろうか?千代大海も相手をにらまなくなっているのを。私は先場所それに気づき、がく然とした。体も技も「平均点」の千代大海が大関になれたのは、その気迫によるところが大きい。ギラギラとした視線で相手をにらみつけるところが、この男の最大の魅力であり強さだったはずだ。それが今は見る影もない。これでは横綱を狙うどころか、大関を維持することさえ窮するわけだ。
幕内でいちばん情けない仕切りをするのは雅山だ。とにかく相手と動きを合わせようとしない。相手が仕切る前にしゃがみ、相手がしゃがんだ時にはもう立っている。目を合わせないどころか、体さえ対峙させることができない。無骨な風貌と体格を持ちながら、態度だけコソコソとしていては、いよいよ卑屈に見える。どうにかならないものだろうか。
(2005/04/01)
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