episode 47:
褒章馬「勝山号」
太平洋戦争のころに流行した「めんこい仔馬」という童謡がある。作詞はサトウハチロー。モデルは南部馬の軍馬、勝山(かつやま)号だったという。
勝山号は1933年(昭和8)5月、九戸市軽米町の鶴飼牧場で父・アングロノルマン種ランタンタン号、母・国内産洋種第二高砂号の子として生まれた(よって血統としては和種ではない)。2歳のセリ市で江刺郡岩谷堂町(現江刺市)の農家に売られ、農耕馬として育てられた。平凡な馬の一生を変えたのは戦争。地元の広大なグランドが臨時馬検場になり、近郷近在から何百もの馬が集められた。軍の徴発官の前で1頭ずつ引き回して検査が行われ、合格なら蹄に焼き印が押される。それが軍馬の印だった。徴兵検査での男子の「甲種合格」と同じく、軍馬徴発は、良馬を育てた農家の「名誉」とされた。
勝山号は5歳で中国に渡り、将校馬として蘇州攻略、徐州会戦、廬山(ろざん)の戦い、南昌攻略などを転戦。鞍上の将となった3人が戦死し、1人が重傷を負う戦いの日々に、迫撃砲の破片や銃弾を3度浴びながらも生き残った。
身に受けた十数創の重傷に耐えて帰国。1939年(昭和14)10月、軍馬としては初めてとなる甲功賞が陸軍大臣から授けられた。馬に与えられる甲功賞は、軍人に与えられる金鵄(きんし)勲章に匹敵するもので、勝山号は日本一の名馬とたたえられた。
日中戦争で大陸に渡った軍馬は百五十万頭余と言われるが、生きて日本に戻れたのはごくわずかしいない。「奇跡の馬」と新聞を賑わせ、1940年(昭和15)に異例の内地帰還、明治神宮の御神馬になった。
終戦の1945年(昭和20年)、敗戦で国内部隊にいた軍馬は全てお払い箱となり、その多くは食肉業者に一括払い下げとなった。勝山号も同じ末路をたどろうとした矢先、消息を知った江刺の馬主一家が遠路、救出に駆けつけた。ヤミ市で高く売れる馬肉を求める怪しげな男たちに狙われ、「優秀な軍馬を戦利品として探している」というGHQの目に脅えながら、4日がかりで奇跡的に帰郷した。
岩手に戻ってからの勝山号は、農耕馬として田んぼの泥にまみれる日々を送った。だが、そんな平和も2年しか続かず、戦傷が原因の神経障害が現れて悲惨なほど苦しみ、やがて絶命した。獣医が解剖したところ、頭と首の2ヶ所から砲弾の破片が出てきた。
飼い主は警察署長から特別許可をもらい、自宅裏の丘に丁重に埋葬。1979年(昭和54)に、生産者の鶴飼宅裏山にある久慈平神社境内にも記念碑が建立された。その揮毫は、中村直岩手県知事(当時)による。1995年(平成7)に江刺から分骨してもらい、記念碑地下に納骨。勝山号は、競り落とされてから実に61年ぶりに故郷へ戻った。
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