episode 27:
ダマ駒踊り
南部駒踊りは、藩牧の『御野馬捕り』に働く農民が踊りに託した叙事詩である。農事を表現した「えんぶり」が田の神への祈りを込めてウブスナ様へ奉納されたのと同様に、馬の守護神である蒼前神社や馬頭観音へ奉納される神事でもあった。
明治から大正にかけて、駒踊りが農民のレクリエーションとしてもてはやされた時期に生まれたのが「ダマ踊り」だ。これは、言ってみれば女性だけの駒踊り。藩政時代にオス馬を駒(こま)、メス馬を駄(だ)と言って区別して呼んだのが「ダマ」の由来。
踊りの内容は男のそれと同じだが、囃子のうち笛2人、時には太鼓の2人にも男手を頼むことがある。現在も活動しているのは、上北郡百石町の2組と八戸市市川の1組。踊りの性格上、女性の体力では表現に限界があることから余興扱いされる向きもあるが、本来男の踊りであったものが女のものになった例は、数多い青森県の民俗芸能のなかでも例外に属する。それが認められるようになった背景には、産馬農家の暮らしの中で占めた主婦の貢献度の大きさがあるようだ。
民俗芸能の課題は、年々その後継者が少なくなっていることだ。「南部駒踊り」も例外ではなく戦後、後を断ってしまった所が多い。しかし中には十和田市上館地区のように、女性のほうが熱心で先に「ダマ踊り」が生まれ、後を追うように男の駒踊りが復活した例もある。特に上十三地方では女性の意欲が目立ち、駒踊りだけでなく「えんぶり」復活にも“進出”している。
民俗芸能の後継者育成に最も熱心なのは十和田市。「南部駒踊」では大深内小、同中学校と米田小学校の3校、南部切田神楽の下切田小学校、藤坂獅子舞の藤坂小学校、鶏舞(けいばい)の大不動小・中学校の児童、生徒が伝統継承に取り組んでおり、市も補助金を出している。大深内中学校では昭和46年、少年駒踊りのチ―ム結成が契機になって全校生徒の“校技”に発展した。52年の「あすなろ国体」開会式では250人の“若駒”たちが県南の民俗芸能を代表して踊りを披露した。
「テレビでしか馬を見たことのない子供もいるのにどこまでやれるか…」という大人の心配をよそに、さきごろ県営競技場で行われた集団演技リハ―サルを見事にこなした。こうなると子供より親のほうに熱が高まり、晴れの舞台で子供らが使う馬形を作るため、3日3晩にわたって学校の体育館に詰めかけた。というわけで、南部駒踊にかんしては後継者難の心配はない。むしろ「芸の純粋性を保つために、伝承者は将来も地元に残る長男に限定したらどうか」と心配する意見もあるくらいだ。
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