episode 22:
神馬
神馬(しんめ)を奉納する習慣は、古く奈良朝時代にさかのぼると言われています。『古事類苑』によれば大宝2年(702)に飛騨の国から、天平3年(731)に甲斐の国から、神社へ献馬した記録があり、朝廷はそのつど大赦令を出したり税の減免をしています。奉納馬はいずれも青毛で、たてがみと尾が白い異相の馬でした。新奇なものを珍重したこの時代、異形馬の出現も瑞祥として歓迎されたようです。
時代はやや下って室町期になると、雨乞いの祈とうや祝い事に、神馬を寄進する風習が盛んになり、形式化の傾向も進みました。南北朝期前後になると、馬の代わりに料銀を奉納。馬は神社から借りて寄進のまねごとで済ませるようになってしまいます。
しかし東北の馬産地などでは依然として生きた馬の奉納が一般的で、相馬野(福島県)の妙見神社などでは「神域」として広大な放牧地を有し、寄進された多数の神馬をこれに放ちました。年に一度これを捕えて神前にささげた行事が「相馬野馬追い」の起源とされています。
南部藩でも応永18年(1411)の秋田攻めを制した三戸南部13代目の守行が、櫛引八幡宮(八戸市)に鎧や太刀と共に、陣中で乗った馬を奉納。翌19年にも5頭を献じています。
ところが生きた馬を奉献されても、神社側は扱いに困まります。そこで馬の代替物として「馬形」が考案されました。馬形は土製の物も石製の物もありましたが、中世以後はほとんど木製の神馬像になります。それがさらに簡略化されて「板立馬」という物が生まれ、その延長上に「絵馬」が発生します。
上代、宮廷の儀式として「白馬節会」がありました。年の初めの7日に白い馬を見るという催しで、邪気を払うためと伝えられていますが、神馬の伝承と深いつながりがあります。神の召し料となる馬の資格は第一にその毛色で、アオウマと呼ばれた青白色のものが聖なる馬とされています。のちには白馬に代わりましたが、アオウマの読みはそのまま残されました。同時に漆黒の馬も神馬の資格あるものとされ、こうした神馬に見立てられる毛色の馬は、一般には飼育することを忌む風習が生じたと言います。
神馬奉納の風習がいつ頃まであったか定かではありませんが、新館神社(上北郡上北町)では、明治初年まで流鏑馬(やぶさめ)儀式に使う神馬が飼われていました。同神社はもと七戸八幡宮と呼ばれ、南部藩の尊崇が厚かった社です。代々の藩主から神馬奉納の習わしがあったようですが、寛文4年(1664)に南部行信が奉納したのは、寄進書には「神馬」とあるものの白塗りの木馬でした。
現宮司の新館氏によると、生馬奉納は民間の馬産家によって幕末まで途切れ途切れに続いたらしいのですが、その後、神事に使われる馬は氏子が飼い、馬を随時提供することに変わりました。
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