episode 20:
『蒼前さま』信仰
南部地方には「蒼前(そうぜん)」、あるいは「蒼前平」「蒼前久保」などという地名が数多くありました。現在は区画整備などによって昔の地名がだいぶ減ってしまいましたが、昭和30年、つまり青森県内の市町村合併が行われる前の地名から「蒼前」ゆかりの地名を捜してみたところ26カ所ありました。一市町村に必ず1つ以上は存在し、八戸、十和田、名川といった馬産地になると4〜5カ所も存在していました。
「お蒼前さま」信仰では、ばく然と、馬が守護神とされています。しかし何を祀ったものかとなると、「仏典にある馬の神・勝善神」だとか、「馬の医者・宗善」だとか、「馬術の祖・小笠原宗前」だとか諸説あってはっきりしません。あて字も多く、蒼善、正善、惣善、相染などと書く場合もあって、いかにも土着信仰らしいとも言えます。
その中で「木ノ下のお蒼前様」と呼ばれて馬産家の尊崇を集めてきた気比神社(上北郡下田町)の縁起とされているものは、十和田湖の主・南祖坊が登場して興味深いものがあります。この由来は『十和田神教実秘録』や『十和田山神教記』という書物に、次のように載っています。
昔、都の綾小路に住む関白・藤原是実(これざね)は、無実の罪によって嫡男是行(これゆき)と共に奥州気仙へ流された。是実は間もなくこの地で亡くなり、是行公は数人の従者と浜伝いに北を目指す。糠部(ぬかのぶ)は馬渕(まべち)川べりの斗嘉村(三戸郡名川町斗賀)に至り、この地の霊験堂の別当が藤原式部と名乗っていると聞き訪ねてみれば、三代前に藤原関白家から分家した公家の末裔と判る。式部のすすめで斗嘉を「ついのすみか」と定めた是行は、名を藤原宗善と改め余生を送ることになった。
そのころから馬の出どころだった斗嘉の里で、宗善は馬を飼うのを楽しみにしていたが、いかなる荒馬も宗善の厩(うまや)へ入るとたちまち悪癖が直り名馬となった。このため村人が持ち込む馬が厩に余り、次々に野に放った。これが「野馬」の言い初め
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…といった次第です。宗善は午(うま)の年、午の日、午の刻の生まれとされています。「我死せる後は、一宇を建て我を馬頭観音と祭るならば、馬一通りの願い何にても守るべし」と言い残して死んだのが61歳の午の年、午の日、午の刻。村人はさっそく一堂を立て馬頭観音を祀りました、誰ともなく「ご宗善様」と呼ぶようになり、後世、宗善堂となって各地の蒼前信仰の源となりまし。気比神社もその流れをくむものと言われています。
話を藤原宗善の生前に戻します。
宗善夫妻には子供がありませんでした。そこで妻は斗嘉の霊験堂に参拝して「我に子を授け給え」と祈願します。21日経った満願の日、金の扇を胎内に受ける夢を見て受胎明らかとなり、男子を出生しました。
南祖丸と名づけた子は幼児から英知に優れ、法量(上北郡十和田湖町)の両泉寺で修行したあと、修験道をきわめる旅に出ます。「ワラジが切れた所こそ永住の霊地」というご託宣通り、十和田湖にたどり着き、先住の主だった八之太郎との法力争いに勝って、十和田の新しい主に
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…というのが『南祖坊・十和田霊験記』のさわりです。全国共通の馬頭観音信仰から出ていながら、旧南部領に特に「蒼前様」信仰が広まったことには、修験者(山伏)の影響力も手伝って宗善・南祖坊伝説が寄与しているのかもしれません。
蒼前神社の例祭は1日と15日。小正月に参る所もあれば4月の所もありますが、おおよそは田植えが終わった旧暦6月です。どの農家も、この日は農作業を休んで参拝しました。厩(うまや)から引き出した馬を念入りに手入れして馬衣で飾り列をなして神社へやって来るのです。馬の首にぶら下げた鳴り輪が「ガラン、ゴロン」と鳴り響き、お祭り気分が盛り上がります。祭りの日に馬が境内の土を踏めば、神の加護で一年間息災とされました。過去一年、厩に掲げた古い絵馬は感謝を込めて神社に奉納し、新しい絵馬を拝んでもらって家に持ち帰るならわしでした。もちろん農家だけでなく、馬産家や馬商、馬術の上達を祈願する武士などの参拝もありました。主な蒼前神社に「馬数達成祈願」や「成就御礼」などの石灯籠やコマ犬が奉納されているのは、その名残りです。
最も賑わったのは「木ノ下のお蒼前様」で知られた現在の気比神社(上北郡下田町)です。文明9年(1477)の創建。八戸藩の「妙野の牧」があった三戸郡階上村の蒼前様から分かれたとも、三戸郡倉石村の駒形神社が本家だとも言われています。
そのせいで倉石村の馬産農家は、昔から「分家」である気比神社には参拝しなかったと言います。また気比神社のある木ノ下に隣接した蒼前地区の“本家”が祭る蒼前様が「木ノ下様の元宮」という説もあり、地区の人たちはこのお堂に参った後でないと、気比神社に足を運びませんでした。
ともあれ気比神社の信者は北海道から東北各県にまたがっており、祭りのにぎわいは群を抜いていました。現在も祭日には紙絵馬売りの出店が並び、数千人の参拝者で境内が埋まります。ただし神社に奉納される絵馬は牛の絵が多く、時の流れを感じさせます。馬を引いての参拝風景は戦時中、出征する軍馬の武運祈願が盛んでしたが、それ以後は姿を消していきました。
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