episode 19:
『妙見さま』信仰
妙見(みょうけん)菩薩は、インド人が北極星を神格化したものです。息災、長寿の守り神とされたものが、仏教と共にわが国に伝えられ、特に大阪以西では眼病の神様として広く浸透しました。やがて日本海における海運の発達にともなって東北地方にも広められ、古くからの星辰(せいしん)信仰と結びついて定着したとされています。
「妙見さま」の信仰対象は北斗七星。星座の「座」を古語で「くら」と呼んだことから、牛馬の守り神ともされるようになりました。このコーナーのエピソード6「巨大馬伝説」で、鞍を七つも置ける巨大馬の伝説を紹介しましたが、そこには明らかに妙見信仰との結びつきが見られます。
妙見信仰と板東武者の結びつきは、深いものがあります。かつて平将門が、常陸(茨城県)の蚕飼川(こかいがわ)で、叔父の常兼と戦ったときの話。
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将門の前に妙見が現れ、川を瀬踏みして危機を救った。
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あるいは再び合戦となったときに
という伝説があります。
南部馬ゆかりの源氏についてのエピソードもあります。頼朝が旗揚げをして一度敗れ、房総に逃れてきた時、千葉氏がこれを出迎えました。そのすきに留守宅が襲撃され、千葉氏は下総の境「境河」まで敗走。そこへ童子が現れて飛んでくる矢を全部つかみ取ってくれたので、矢が当たらず、そこへ上総から援軍が到着して逆転大勝利をおさめたというものです。
日本における妙見信仰は産土神(うぶすながわ)の八幡神を守護神としていると言われ、武士を中心に広まっていきました。源氏にゆかり深い土地はなおさらで、甲斐源氏を祖とする南部一族も例外ではなかったと思われます。
南部家の家紋である「むかい鶴」は、「南部鶴」と呼ばれる独自のデザインです。特徴は鶴の胸に描かれた9つの星。これは「九曜」を意味しています。
永享9年(1437)、南部一族は秋田攻めに苦戦していました。先陣を命じられた南部光経(根城南部10代目藩主)は、3人の重臣を出羽(山形県)の湯殿山、月山へつかわして戦勝を祈願。7日7夜たち満願の夜、光経は2羽の鶴が月山の方向から飛んで来た夢を見ます。さらに天空から9つの星が食膳に落ちて来たのを拾って懐中へ入れたところで目が覚めました。「九曜ふところへ入るとは秋田9万石がわがものとなるきざし」と喜んだ光経は、夜明けとともに猛攻撃。不思議にも夢と同じく2羽のツルが南から飛んで来たのを目撃し、勇躍して秋田軍を破りました。
これが南部家紋の起こりと伝えられていますが、「天上から降った星」は明らかに妙見信仰の所産です。野馬追い行事で知られる福島県相馬市の妙見神社は、相馬藩の手厚い保護を受け、奉納された多数の神馬は広大な神牧・雲雀ケ原に放たれました。その野馬を捕らえるために馬術を奨励したのが「野馬追い」の始まりと言われています。同様に産馬を持って重要な藩経営の資としていた南部藩も、妙見信仰に帰依していたことは十分考えられることです。
余談ですが、このままでは秋田攻略が“分家筋”である根城の手柄になってしまうと考えた本家・盛岡南部氏は、家紋起源に異説を立てました。浅間山の牧狩りで藩祖光行が二本の矢で二羽のツルを生けどりにして、源頼朝から家紋を許されたとか、南朝方の長慶天皇が名久井岳の長谷寺にお泊りになった時、両南部氏の忠節をめでて「助け合って末永く忠勤に励めよ」と「向い鶴」の紋を下されたとか、創作めいた話を御用史家に書かせています。
それはともかく、九曜の故事は南部地方の農村に「やさら」の行事として残りました。九曜にちなんで食ぜんに9枚の皿(さら)を並べ、自家製のドブロクを注いだあと中央の大わんにあけ、一家で飲み回し無事息災を祈ったものです。秋田攻め出陣の日といわれる旧暦2月9日に行う習わしでしたが、近年はほとんど見かけなくなってしまいました。
馬産と妙見信仰のつながりは、時代が経つにつれて形を変える。馬産が南部藩の直営から民間に移されていくのに伴って、馬の守護神である蒼前さま信仰が一般的になっていきます。三戸郡名川町斗賀にあった霊験堂(現斗賀神社)は、南部地方の妙見信仰を総括する祭壇が置かれてあったといわれ、同時にこの地方の蒼前信仰発祥の地ともされています。
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