episode 18:
寒立馬ができるまで
下北地方には南部藩の官牧として大間(おおま)、奥戸(おこっぺ)の二つがありました。大間は元和年間(1615〜)、奥戸は天正年間(1573〜)に開かれたとされる古い牧野でしたが、本藩と遠く離れていたためか、独自の歩みをたどっています。
もともと下北半島は、盛岡南部氏の分家筋とはいえ、八戸から独立した根城南部氏の支配下にありました。ところが宗家意識の強い盛岡側は、27代利直が八戸沿岸23村と領地交換するという名目で下北を接収してしまいます。
狙いは無尽蔵にあったヒバ林。それまで地元住民から伐採税を徴収する代わりに自由に伐採させてきたヒバ林を、御留山(藩有林)にしてしまいます。それを藩で管理するのならまだしも、藩財政が窮乏してくると、一山いくらで大阪商人に売り飛ばし裸山にされてしまう結果を招き、住民を嘆かせます。
それはともかく、南部藩では下北の農民を山組と馬組に分け、それぞれ林野保護と南部馬育成の労役に服させました。引き換えに薪山と秣(まぐさ)山の利用を許しましたが、実態は農民側の一方的な奉仕と言っていいものでした。
馬組は村の“重立ち”を肝煎りとして5〜6軒の農民で編成しました。本来下北の藩牧は通年放牧が原則でしたが、冬の凍死や狼害が多かったため、秋には「御野馬捕り」を行って近村へ下ろし、春まで「舎飼い」させる方針に転換しています。
馬を預かった農民はもちろん無報酬。そのくせ役人による管理規則は非常に厳しいものでした。しょっちゅう馬役人が見回りに来て、少しでも栄養不足だったり毛づやが悪かったりすると、とがめたてられるのです。馬が病気になると、昼は2人、夜は3人で12時間交代の看病をさせられ、運悪く死んだものなら田名部の代官所から検視役人が来るまで、これまた昼夜の張り番をしなければなりませんでした。
以上は藩牧(公営牧野)の馬の話。下北では民牧(民間の牧野)はあまり盛んではありませんでした。道路が未発達で山が多いという地形も大きく影響していたことでしょう。けもの道同然の山道では、馬より牛の方が安心ですし、輸送能力も勝ります。牛は、馬のように飼育や売買規制が少なかったので、馬から牛に乗り換える農民もたくさんいました。享保6年(1721)の調べでは「馬3065頭、牛2420頭」だったのが、明和元年(1764)には「馬2421頭、牛3558頭」と数字が逆転しています。
下北の馬は、2度にわたって外国馬が導入されています。まず康正2年(1456)、現在の下北郡川内町に居を構えていた豪族・蠣崎蔵人(のちの松前氏の祖)が八戸の根城南部氏に反旗をひるがえした時に、遠く沿海州に船団を送って大量の軍兵と馬を輸入しています。反乱に敗れた蔵人は北海道に逃れたが、数百頭のモンゴル馬、ロシア馬は南部氏の手に落ち、在来種との混血に使われました。
次に文政年間(1818〜)、南部藩の御馬奉行・蠣崎安忠がモンゴルから種馬100頭を輸入して、下北の馬を改良しています。すでに江戸時代初期からペルシャ馬などが導入されていたが、気候・風土に適応した品種を作り出すという目的意識を持ったものとしては、これが最初だったと思われます。この馬は現在の寒立馬(かんだちめ)の直接の祖先と考えていい。その耐寒性と粗食性は農耕馬として打ってつけで、需要はいくらでもあったといいます。しかしどんどん増殖するわけにはいきません。採草地不足が最大の原因で、第二に飼養戸数を増やせないという経済的な事情もありました。
「本県最東端之地」という石碑が浜風にさらされている下北半島尻屋崎。そこに、コケのように痩せた芝草を黙々と食む馬たちがいます。彼らは、寒風にたたずむ素朴で逞しい姿から寒立馬(かんだちめ)と呼ばれています。ずんぐりと短く太い首、発達したアゴ骨、大きく張り出した腹、低い背丈に不つり合いなほど丈夫な足、大きいひづめ…その姿には、通年放牧を通して気候風土に順応してきた馬の形が見てとれます。その昔、みちのくの山野を風のように駆けめぐっていた野馬もかくあらん。その馬格から察せられるように、モンゴル馬の血を濃く引いている。北海道和種(ドサンコ)との共通点も多く、しかも、より特徴的です。
寒立馬の繁殖地として尻屋崎が選ばれた理由として、土壌が石灰岩質だったことがあげられます。石灰岩土壌に生える草を食べた牛馬は骨太になると言われています。特にひづめが堅固になるという大きなメリットがありました。太平洋に大きく突き出た岬は、風が強いため冬でも雪が積もりにくく、通年放牧が可能でした。厩舎を持つ余地のない尻屋の農民にはもってこいだったわけです。軍馬需要が最盛期だった昭和10年代には150頭まで増えたこともありますが、戦後は下降線をたどり昭和47年にはわずか9頭にまで減少。絶滅も危惧されました。翌48年に青森県と東通村が補助金を出して保護に乗り出すようになってからは、頭数も安定しています。昨年(平成15)は25頭の成馬に合わせて、7頭の仔馬が誕生しています。
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