episode 4: 武士団の台頭

族の時代から武士の時代に移り変わると共に、南部馬の存在価値はいよいよ高まります。平安時代の末期になると武士団が形成され、貴族による摂関政治を脅かすまでに成長します。
やがて武士団と国司(中央から派遣された役人)の対立から前九年の役(永承6年=1051)が勃発。反乱軍の将である安倍頼時と貞任は「騎兵17万」といわれる強大な騎馬集団をもって岩手県一帯を占有します。
その平定に当ったのが、当時の武名き源頼義でした。衣川の戦、厨川の戦と連戦連勝。蝦夷馬がいかに軍略に資するかを悟り、戦利品として多くの蝦夷馬を持ち帰りました。この頃から板東武者たちは好んで蝦夷馬にまたがるようになっていったのです。

族から地方の有力豪族へと変遷していった安倍氏を破り、代って勢力を得た清原氏の内紛が後三年の役(永保3年=1083)です。朝廷は、これに対しても武士団を派遣し、平定に乗り出します。
このときは関東武者の源八幡太郎°`家が積極的に介入し、やがて奥州における覇権を一手に収めます。奥州は、砂金と馬という、かけがいのない資源が豊富にありました。武士団にとっては重要な兵たん基地です。これをきっかけに、その後の源頼朝の挙兵から鎌倉幕府の擁立に至るまで、源氏と言えばことごとく南部馬に騎るようになります。

州平泉に三代にわたる黄金期の基礎を築いたのは藤原清衡でした。清衡の観測は鋭く、領民に対してことあるごとに「馬を大切にせよ」と説き続けました。これは関東の馬商人がひそかに潜入し、蝦夷人をだまして馬を手放させるのを知っていたからです。また「将来の敵」に戦力が渡ってしまうのを警戒していたとも思われます。
一方で清衡は、都の貴族にたびたび馬を献上しています。例えば関白・藤原師実(道長の子)に対しては、馬格の良い馬を献納しています。その時は、金糸・銀糸の刺繍もきらびやかな朱もうせんを馬に着せ、その前後を50騎もの騎馬武者に警護させながら道中したという記録が残っています。清衡の狙いは、貴族たちに奥州の富を誇示し「いつでもお役に立ちますよ」と誘い水をかけることで、源氏の侵略を牽制しようとしたのでしょう。

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