#119 それはゼッコ
まれて初めて乗馬をしたのは、S県S市にあるS乗馬センターでした。その最初の乗馬体験は「腹がよじれるほどおかしいのをひたすら我慢した」っていうことしか憶えていません。どんな馬に乗って、どんなことを指導してもらったのか思い出せないのです。とにかく笑わないようにするのに必死でした。
なぜそんなにおかしかったかと言うと、インストラクターのお兄さんがしょっちゅう舌打ちをするからです。馬に乗っている私にあれこれ指導しながら、必ず最後に舌打ちするのです。

初のうちは、ちょっと気分悪かったです。私があんまりヘタクソなもんだから、それに腹を立てて舌打ちしてるんだと思うじゃないですか。でもお兄さんはとても紳士的で、顔もにこやかだから、どう見ても怒っているふうではありません。そこで、はたと気がつきました。

歯に何かはさまって取れないんだ!
って。だからさっきから口を「チュッチュッ」て鳴らしているのに違いありません。それにしても、いったいどんな物を食べたんでしょう。エビの外殻?トウモロコシの包皮?ニラ?パイナップル?…なんて想像を巡らせながらお兄さんの「チュッチュッ」を聞いてたら、もうおかしくて乗馬どころじゃありません。

馬をする人はもうお判りだと思いますが、そのお兄さんは、歯にはさまったものが取れなくて「チュッチュッ」してたわけじゃありません。もちろん怒って舌打ちしてたわけでも。私も間もなく知ったのですが、舌鼓(ぜっこ)をしていたんです。
舌鼓は馬に対する合図の1つで、馬を前に進ませたい時なんかに使います。やり方は…ええっと、どう説明したらいいんだろう?…口を「い〜!」っていう感じで横に開いて、舌を丸めて、舌の横から空気を入れるような感じで音を出します。舌打ちに近いけど、もっと深みがあって強い音が出ます。競技では使っちゃいけませんが、それ以外では世界中の馬乗りが同じように舌鼓を使ってます。

れから長い歳月がたち、今や私は人に乗馬を教える立場。疲れてお風呂に入らない日はあっても、舌鼓をしない日はありません。そんな日常を送っています。
初心者に教えるときは、ちょっと舌鼓をするのをためらいます。歯にはさまったものを取ろうとしてるように思われたら、恥ずかしいじゃないですか。「じゃあ今から舌鼓っていうのを使って馬を前に出しますね」なんて、さり気なく言い訳してたりして。どうか、誰も誤解していませんように…。

2008/03/02 沙羅
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