大関来傳" | ||
霧島 一博(きりしま かずひろ) | ||
大関昇進は31歳、同期生の若嶋津が引退して既に3年経っていた。筋肉マンの美男子で女性ファンや外国人の人気も高く、パリ公演では「相撲界のアラン・ドロン」と場内放送されるほど。足腰がよく、左四つ出し投げで相手を崩しての攻めは鋭く、うっちゃりなどの逆転技も持っていた。右ひじの故障などで、平成4年九州場所で大関陥落、8年春場所で引退、陸奥部屋を継承した。 | ||
イメージ画像 | 本名 | 吉永一美 |
生年月日 | 昭和34年4月3日 | |
出身地 | 鹿児島県姶良郡牧園町 | |
身長・体重 | 186cm、130kg | |
所属部屋 | 君ヶ濱→井筒 | |
初土俵 | 昭和50年3月 | |
新入幕 | 昭和59年7月 | |
最終場所 | 平成8年3月 | |
大関昇進 | 平成2年5月 | |
幕内成績 | 518勝507敗40休 | |
幕内勝率 | 50.5% | |
優勝回数 | 1回 | |
年寄名 | 錣山→勝ノ浦→陸奥 | |
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