大関来傳" | ||
大内山 平吉(おおうちやま へいきち) | ||
まるでスコップのようだと形容される大きな手による突っ張り、豪快な小手投げ、右四つ、左を引きつけての寄りなど“巨人”の名にふさわしく大物らしい強さだった。あごが伸びるという奇病で手術を受け、一時は三役から幕尻へ落ちるもカムバックを果たす。昭和30年春場所に準優勝、大関へ。同年夏場所の千秋楽には栃錦と熱戦を繰り広げるもの、首投げに敗れる。この一番は歴史に残るものとなった。揚子江の流れにたとえるほど期待されたが、横綱の夢はひざの故障のため成らなかった。 | ||
イメージ画像 | 本名 | 大山平吉 |
生年月日 | 大正15年6月19日 | |
出身地 | 茨城県ひたちなか市 | |
身長・体重 | 202cm、152kg | |
所属部屋 | 双葉山→時津風 | |
初土俵 | 昭和19年1月 | |
新入幕 | 昭和24年1月 | |
最終場所 | 昭和34年3月 | |
大関昇進 | 昭和30年5月 | |
幕内成績 | 304勝256敗53休 | |
幕内勝率 | 54.3% | |
優勝回数 | ||
年寄名 | 錣山→立田山 | |
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