大関来傳" | ||
千葉ヶ崎 俊治(ちばがさき しゅんじ) | ||
大正2年夏場所幕下に上がり、序の口以来不敗だった栃木山に初黒星を付けて名を上げた。つり、上手投げを得意とし、左四つ、出足速の寄り身は鋭かった。入幕4場所目には早くも大関に昇進。大錦、栃木山、常ノ花らの強敵を向こうに回して奮闘した。鳳引退後には横綱の声も掛かったが、病魔に襲われて果たせず、大正11年夏場所には関脇に転落、1場所で復帰したものの既に全盛期は過ぎていた。引退後は年寄玉ノ井となったが、若くして他界、惜しまれた。 | ||
イメージ画像 | 本名 | 宍倉俊治 |
生年月日 | 明治26年4月10日 | |
出身地 | 千葉県印旛郡 | |
身長・体重 | 176cm、120kg | |
所属部屋 | 二十山 | |
初土俵 | 明治44年6月 | |
新入幕 | 大正6年1月 | |
最終場所 | 大正13年1月 | |
大関昇進 | ||
幕内成績 | 70勝48敗14分預19休 | |
幕内勝率 | 59.2% | |
優勝回数 | ||
年寄名 | 玉ノ井 | |
大関来傳のメニューへ戻る |