大関来傳" | ||
九州山 十郎(きゅうしゅうざん じゅうろう) | ||
肥満型の力士で、出足鋭く、突き押しと左四つ寄りが得意だった。郷里の遠賀川で船頭をしていたが、いかにも九州男児らしい気っぷの良さで知られた。入幕後は横綱鳳を2回倒すなど破竹の勢いで昇進し、将来の横綱と期待された。大正7年夏場所に栃木山の横綱昇進に伴って、4勝3敗1預2休の平凡な成績にもかかわらず大関昇進という幸運に恵まれたが、病魔に襲われ2場所で大関の座を失った。病気のために活躍した期間が短く、年寄としても短命だった。 | ||
イメージ画像 | 本名 | 青山→中西十郎 |
生年月日 | 明治22年5月12日 | |
出身地 | 福岡県北九州市 | |
身長・体重 | 174cm、124kg | |
所属部屋 | 出羽海→入間川 | |
初土俵 | 明治44年5月 | |
新入幕 | 大正4年6月 | |
最終場所 | 大正11年5月 | |
大関昇進 | ||
幕内成績 | 57勝37敗5分預41休 | |
幕内勝率 | 60.6% | |
優勝回数 | ||
年寄名 | 稲川 | |
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