大関来傳" | ||
駒ケ嶽 国力(こまがたけ くにりき) | ||
偉大な体格で筋肉も素晴らしく、取り口は非常に強固であった。梅ヶ谷・常陸山の全盛時代に次代を担う大豪として、太刀山との取組は満都の好角家を熱狂させ、太刀山より先に大関に昇進し、明治44年ころまでは互角に渡り合った。緑嶋を苦手として度々不覚を取ったが、左四つ、長身から繰り出す上手投げを得意としていた。横綱を期待され、郷里の大先輩に「谷風」襲名もうわさされたものの、晩年は深酒がたたって生活が荒れ、巡業中に急逝した。 | ||
イメージ画像 | 本名 | 菊地国力 |
生年月日 | 明治13年12月13日 | |
出身地 | 宮城県遠田郡 | |
身長・体重 | 188cm、135kg | |
所属部屋 | 井筒→関ノ戸→井筒 | |
初土俵 | 明治31年1月 | |
新入幕 | 明治36年5月 | |
最終場所 | 大正3年1月 | |
大関昇進 | ||
幕内成績 | 105勝41敗29分預45休 | |
幕内勝率 | 71.9% | |
優勝回数 | ||
年寄名 | ||
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