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54.立ち合いの奇跡
国人にとっては相撲の立ち合いがとうてい理解できないらしい。つまり、何かの合図によって相撲が始まるわけではなく、力士がお互いに呼吸を合わせ、両者の息が合った「ここだ!」という瞬間に立つということが。
競技者が同時に開始しなければならない競技には全て合図がある。その始まりは笛やサイレンやゴングやピストルが鳴ったり、旗が振られたり、ランプがともることで初めて公平さが成立している。あるいは審判の掛け声が。だが相撲の行司は合図をしない。両者の間に行司が立つのは、立ち合いの成否を見極めるためでしかない。相撲が始めるきっかけは、あくまで2人の力士の「あうんの呼吸」でしかない。
われてみれば、「なるほど」と思えなくもない。確かに立ち合いの基準は曖昧だ。曖昧すぎる。言葉も交わさずに「ここだ!」という一瞬が、他人と共有できるものだろうか。テレビで見ていても、その見極めは非常に難しいのが判る。わざと早めに構えたり、ゆっくり構えてジラしたりする力士もいる。短距離走のフライングのように、いちかばちかつっかける力士もいる。相手の意表をつきたいから、相手のタイミングをずらしたいから駆け引きをする。それで、いつどこでお互いの呼吸が合うというのだろう。
駆け引きという行為は、言ってみれば「ずるい考え」だ。呼吸を合わせるという行為は、自分を相手に合わせるという「譲り合いの考え」だ。両者が同時に成り立つとは思えない。実際、何年も相撲を取り続けてきたベテラン力士や、横綱・大関という地位まで上り詰めた実力者でさえ、時に呼吸が合わずマッタをしている。経験や実力に関わらず、立ち合いで呼吸を合わせるというのは難しいものに違いない。
挿絵と文章は関係ありません
つて相撲の仕切りには制限時間が無かった。そのため両者の呼吸が合わなければ、延々と仕切りが繰り返された。何度仕切っても呼吸が合わず、相撲を取らないまま翌日に勝負が持ち越されたこともあったという。いや実際、呼吸を合わせるというのはそれぐらい至難の業であろう。
やがてNHKがラジオ中継を始めたのをきっかけに、放送時間内に収めるために仕切り時間が5分と定められた。テレビ中継が始まって、それが3分に短縮された。時計係が片手を挙げて合図をしたのを見て、東西の呼び出しが力士にタオルを手渡し「両者時間です」を伝える。その後はもう二度と仕切り直せないというのが暗黙のルールだ。最後の仕切りでどうしても合わず、力士が立ち上がったりマッタをかけると、たちまち審判員の親方に叱られる。呼吸が合おうが合うまいが、合ったふりをしてでも立たなければならない。力士も辛かろう。
吸さえ合えば、時間前に立っても構わない。しばらく見かけないが、かつての貴闘力や濱ノ島は、時間前からメラメラと闘志を放ち、よく時間前に立つ取り組みを成立させていたものだ。よく考えると、このほうが呼吸を合わせやすいかもしれない。最後の1回の仕切りにかえるより、チャンスが2〜3度多い。
ともあれ、本来ならおよそ合わないであろう呼吸を、とにもかくにも合わせて成立する相撲が1日に百番以上行われ、それが15日間も続けられている。そこには、多少遅れたり、早まったりして力を出し切れなかった取り組みも少なからず含まれるであろう。一方で「おみごと!」と思わず叫んでしまうような、息のぴったり合った取り組みも必ずある。奇跡が、ものすごい数で実現している。それは、相手よりまず自分の非を責める日本人独特の意識と正義感が支えているのだと思う。相撲が国技である所以は、外国人にはおよそ理解できない、あの立ち合いの奇跡が象徴している
(2007/12/01)
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